「えびすこ」って言うんですって。大食いのお相撲さんのことを。
あのポーカーフェイスでクールな遠藤関だって、永谷園のCM撮影でOKが出るまで計30杯のお茶漬けを食べきったとか。
お相撲さんて、食べるな~。
・えびすこを決めろ
お昼は長野市権堂『一とく』のカツ重を出前で取りました。
いただきまーす!
サクサク…モグモグ…美味し~い)^o^(
お次はコレ!
京菓子『笹屋伊織』のどら焼です。
このフォルムにはドラえもんも困惑必至。
モチモチ…モグモグ…美味し~い)^o^(
「えびすこ」の語源は ”恵比寿講” の集まりでタラフクごちそうを食べたから、または恵比寿様みたいにまん丸いお腹になってしまうから、とか諸説あるようです。
続いてはコレ
みすゞ飴本舗の『三宝柑福居袋』です。
う~ん、ジューシー!
ツルン…モグモグ…美味し~い)^o^(
まだまだ食べれます。どんどん持ってきて!
お相撲さんの大食の逸話は流石にハンパないものが多く、江戸時代の大関『大空武左衛門』は
日本酒3升(5.4リットル)
ご飯2升半(8.5キロ)
大きい鯛3匹
をペロリと平らげ「食べ過ぎは体に毒だから、腹八分目に控えています」と笑顔で話したとか。
明治時代の横綱『大砲万右エ門』は一度に鯛めし36杯を食べたというし、同じく横綱 『太刀山峰右エ門』はおモチが大好きで、はがきサイズの分厚い切りモチを30枚食べたそうです。
・チート過ぎる最強力士
そういえば、あの最強力士と言われる江戸時代の大関『雷電為右衛門』も、長崎で中国人と飲み比べ勝負をして日本酒2斗(36リットル)を飲み干し勝利しましたが、別段酔いもせず平気の平佐だったんですって
雷電関が生まれ育ったのは信濃国小県郡大石村。現在の長野県東御市です。
東御市にある『道の駅 雷電くるみの里』では、雷電関の銅像が仁王立ちで来訪者を出迎えてくれます。
筋骨隆々で、これは強そう!
成績抜群の力士なので、諏訪市にある『諏訪大社上社本宮』にも銅像が置かれています。
これも強そ…あれ?
これは…つ、強そうです!
なんといっても勝率日本一‼
21年の現役生活で
敗戦 "黒星" たったの10回
254勝10敗(勝率.962)
という大成績。
まさにケタ外れ。
エイリアンが攻めてきて人類と相撲で対決することになり「大相撲宇宙場所」が開催されたとしても、きっと雷電なら世界を救う事ができたでしょう。
自販機のイラストも強そ…あれ?
これも…つ、強そうです!
・数々の逸話
道の駅内には雷電資料館も設けられています。
無料で入館できますよ。
ほほう…急に雷雨になったので庭でお風呂に入っていた母を
「風呂桶ごと家の中に運んだ」
ふむふむ…大名行列に出くわした際に道が狭かったので
「荷馬を担いでやり過ごした」
なるほどなるほど…よく判りました。控えめに言って
モンスターです。
男の魅力の指標といわれる三高
高学歴
高収入
で有名な高見盛関のサインも飾ってありますよ。
・家、行ってもいい?
ここで少年雷電はスクスク…いやグイグイ
むしろガンガン育ったんですねぇ。
道の駅すぐ近くに、雷電関のご生家があります。
看板には「無双力士」とありますね。
相撲には押し出しや寄り切り、上手なげや叩き込みなど『四十八手』と呼ばれる48にも及ぶ決まり手があります。雷電関はその内いくつかの技を封じ手として禁止されていました。
封じられた手の一つ閂(かんぬき) は、相手が二本差した時に両腕でギュウギュウ締め、ガッキとかかえて極め出す技なんですが、陣幕という力士と立ち合った時に閂をかけて絞り上げたら、相手の両手がポッキリ折れてぶらぶらになっちゃった。これには「北島康介さん…もとい力士を手ぶらで帰すわけにはいかない」というので禁止に。
もう一つは八角政右衛門という力士と立ち合った時に、バーンッと八角の顔を張ったら八角の顔が三角になっちゃったので張り手も禁止に。
あと突っ張り(鉄砲)や鯖折りも封じられたと言われていますが、技の名前からして物騒極まりないですねぇ。
とにかくリーサルウエポン力士なのです‼
・二階建て、吹き抜け、土俵付き物件
時間内なら自由に出入りすることができます。
帰る際には、戸締りはしっかりとお願いしますね。
お邪魔しま~す。
これは開放的なお宅ですね~…ん?
ややっ!
「ええか!お前たちの欲しい酒も女も金も、みんな土俵の土の中にあるんだ。ええか、稽古を一生懸命にやれ!」
「へいっ!」
ってんで、その晩に土俵を掘った奴がいるなんて、馬鹿な話もあったもんで…
などといわれる土俵が家の中にある!
あの奥にある風呂桶は、まさか雷電ママが浸かっていた桶じゃ…
この木の臼は…なになに
「七歳の誕生日におモチを四升ついたところ、雷電ちゃんが笑顔でペロリと食べちゃった。その時に使用した臼ソウナァ」
でも、そのおかげで栄養十分の雷電ちゃん。
身長6尺5寸(197㎝)
体重45貫(169キロ)
と、当時としては破格の恵体を得ることができたのでした。
ただ、体格に関しては上には上がいて、『生月鯨太左衛門』という力士は身長7尺6寸といわれていますから、なんと220㎝以上!
さらに『釈迦ヶ嶽雲右衛門』『鬼塚象之助』前述の『大空武左衛門』と、2メートル以上の長身力士って、江戸時代にも結構いるのです。
生家には2階があり上から稽古を見学できたそうですが、ここで2メートル超の力士たちが相撲を取ったら、この家はモスラ対ゴジラの時の名古屋城みたいに破壊されてしまいまそう。
生家と名称されていますが、実は雷電関が大関に昇進してから建てた家だそうです。
昭和になり復元されたのですって。
そうはいっても年季の入った建物です。
つくりはしっかりしていると思いますが、歩くたびに床がミシミシと鳴ります。
築何十年くらいなのかなぁ…頻りにギシギシ…ん?
…まさか私の体重が原因…
お昼にカツ重やらスイーツやら美味しい物を食べてスクスクと…
いや…まさか…これは…もしや…えびすこ決めちゃった?
『心技体』
明日から稽古…もといダイエットを初めようかなぁ