眠れないことがあります。
不意に、漠然とした不安におそわれて。
毛布にくるまりまんじりともせず、でもそんな時は諦めてベッドから出て、カーテンを開けると夜空にお月様が光っていたら。
パジャマ代わりのスウェットにダウンだけ羽織り、首にグルグルマフラー巻いて、素足にニューバランスで夜の街へ。
吐く息が、闇に白く浮き上がってる。
お正月の三が日はもう過ぎたけど、まだ松が取れないまだ松の内。
日中は初詣でさぞや賑やかだろうけど、今はそんな喧騒ノーサンキュー。
この時間の、ミッドナイト善光寺はシンとして、私のけだるい足音だけが門前にこだまする。
本堂までのびる石畳は、青白い光が私をエスコートするナビゲーション。それはまるでアルパインやケンウッド。
山門に掲げられた「賀正」の二文字。
でも今の私に似合うのは「懊悩」の二文字。
「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
頓知でお馴染みの、あの一休禅師のお言葉です。
新しい年を迎えるという事は、歳をひとつ重ねられるという喜びとともに…
またひとつ歳をとるという、着実に終わりに向かっているという事実。
人は生まれ、人は死ぬ。
生きとし生けるもの、皆この道理から逃れることはできません。
沙羅双樹の花の色を見ずとも、盛者必衰の理と私たちは、どこかで向き合わなければならないのです。
お賽銭を入れて、一年の安寧を願う。
ただその一年は、私たちの長い一生のほんの一ページに過ぎない。
お正月だからといって、決して浮かれていてはダメ。
私たちは一体どこから来て、どこへ向かっているというのでしょう。
それは悠久の歴史の中で、数多の先人たちも考えてはきましたが、真理に辿りついた者は誰一人いません。
人はなぜ、争い、奪い合うのか。
皆でよろしくやればイイじゃないか。
新しい年を迎えたからといって、混沌とした世界情勢の先行きは視界不良。
2023年、令和5年はいったいどんな年になるのでしょう。
誰も教えてなどくれず、そして誰もわからない。
(ゴットン)
自動販売機で『おみくじ』を購入します。
夜空に輝く月よ…
私たち人類が迷ず正しい道を歩めるよう、どうぞ暗闇を照らしてくださいませ。
ああ、いったい今年はどんな年になるというのか…閉塞感で息苦しくなり、思わず冷たい空気を胸一杯に吸い込んで、夜空に細く長く吐き出します…
(カサカサ…)
(カサカサ…)
!?
だ、大吉じゃーん‼
やったーーーーっ!
やった、やった、やったーーーー!
ラッキー‼ラッキラッキラッキーーーーーッ!
みんなー‼ 大吉でたよーっ!
帰ってパーティーしよー!
明けましたー‼ 明けましておめでとうございまーす!