クレア、聞こえるか?
今から任務を遂行する。
これが今回の処理対象「トリクル式バッテリー維持充電器」
通称 "デイトナ" だ。
レッドランプが点いたまま、いつまで経ってもグリーンランプが点かないトラブルが絶賛発生中だ。やれやれ、こいつは厄介なオテンバ娘の登場だな…だが
俺に任せろ。
ショータイムだ。
・アルプス計器から愛をこめて
こいつはバイクのバッテリーに有線でアクセスし、外部からの電力供給により
「充電中はレッドランプ」
「満充電になり維持に切り替わるとグリーンランプ」
が点灯するというシンプルな構造になっている。
2005年のチャド内戦でよく使われていた型だな。久しぶりに昔の戦友に会った気分だ。
依頼主は15年近く、コレを使い続けているんだって?
自分のワイフもそれくらい大事にしろと伝えておいてくれ。
このデイトナの特徴は、充電クリップではなく充電用防水プラグに変更され、バイクのシート等を外さずに充電できるようになっている "MONOGUSA" 仕様だということだ。自分の手を極力汚さない、まったくイイご身分ってわけさ。
だが、残念な事を伝えなければならない。それは
依頼主のバイクが『MONSTER1100EVO』だということだ。
・バイクという名の密室に潜入せよ
1100EVOの場合、いったんバッテリーにトラブルが発生するとシートだけ外すなんて生ぬるい事を言ってはいられない。速やかに燃料タンクを外し、その下で息を潜めるバッテリーにたどり着かなければならない。
なにしろタンクの外装を外すだけで、この国の政治家くらい無駄な数のボルトと対峙しなければならないんだ。おまけにボルトの規定トルクは「2Nm」と、あの割れやすくて有名な "まんまるみるくせんべい" のように繊細ときている。
気が遠くなるような長い時間と、気を抜けない刹那の作業。命がけだ。
まずは燃料をカラにする程に減らし、タンクを軽くする。
そう、時には空っぽにする事も大切だ。失って初めて判る事もある。
そして、自分を満たすだけでなく、他人も満たしてやれ。忘れるなよ。
タンクを動かすため、ドレンホースに余裕を持たせる。
なんでも余裕をもって事を進める事が肝要だ。俺はカルバンクラインのパンツを愛用しているが、常にワンサイズ上の物を着用している。なんでかって?
言わせるなよ。
タンクを後ろにスライドできるように、ツールケースとタンクを固定しているボルトも外す。『スライド・イット・イン』は良いアルバムだよな。
燃料タンクを持ち上げるぞ。
ああ判ってる…慎重にだ。カンザス辺りから初めてニューヨークに出てきた女の子をエスコートするように、優しくするさ。
ご対面だ。
相変わらず狭いスペースにギュウギュウとモノが詰め込まれた、整備性なんて二の次のイタリアンな作りには辟易する。まるでボローニャ風ミートソースだ。だが…
味はいい。約束する。
バッテリーに繋がっている赤いコードと黒いコードがデイトナの物だな。
どちらから外す…赤か…それとも黒か…落ち着け…考えろ…このあと赤いきつねを食べる予定だ…ここは赤か……待て、経験や勘だけに頼っていてはダメだ。
古来より「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言う。先人から聞いた事がある。ここはマイナスの黒コードからだ……
クリアーだ。
不用意にプラスから外してしまい、エレクトリックパレードを開催してしまった奴も少なくない。アーメン。
クリップでバッテリーを確認すると、しっかり充電できる状態だ。
バッテリーに異常はない。疑って悪かったな。もう行っていいぞ。俺の気が変わらないうちにな。
…さあ、これで充電用防水プラグ側にエラーがあるという事がハッキリした。思った通りだ。
おい、どこへ行く。さあ、俺の目を真っすぐ見るんだ。
"充電用防水プラグの先っちょ" 。お前だな。
最初から、そうだと思っていたのさ。なにしろ頻繁につけたり外したりする部分はお前だけだからな。澄ました顔をしているが、化けの皮がはがれたようだな。もしや東側の回し者か?
新品に交換するぞ。
やれやれ、ホットケーキの上のバターを溶かすくらいイージーな任務だったな。早く帰ってシャワーを浴びて、サッパリしたらジャパニーズアニメでも観るとしよう。
こうして装着して…どうだ
…レッドランプのままだな…
…フフフ、そんな事だろうと思っていたさ。判っていたぞ。最初からな。
…えっと…バッテリーがこうで…コードがこうなって…オームの法則が…ピカチュウの体重が6㎏で…ラムちゃんのビキニ…
待たせたな。わかったぞ。
・ガラスの監房
バイク側充電供給用防水ソケットの途中にある "ヒューズBOX" 。やはりお前だったようだな。
皆まで言うな、俺にはお見通しだ。プラス端子の赤コード側に、無意識にもこうして設置されているのが何よりの証拠だ。赤コード…赤…つまり東側の回し者だな。涼しい顔をしているが、ついに馬脚をあらわしたようだな。
そうだ、手をあげて中からゆっくり出てこい。"12V5A管型ヒューズ" め。
フリーズだ。いいか動くなよ。俺はかかりつけの歯科医のように
「痛かったら手をあげてくださいね」
と言うからあげてみたものの、その手をそっと助手に降ろさせるくらい冷酷だぞ。
フフフ…どうだ。思った通りだ。ヒューズが切れている。こいつが原因だ。
まったく手間を掛けさせてくれる。だがイージーな任務だったな。クレア、君のスリーサイズの情報を得るくらいイージー…いや、こっちのミッションはインポッシブルの様だな。HAHAHA。
さあ、新品に交換だ…どうだ
…レッドランプのままだな……
……
……残念だが…どうやらここまでのようだ…
…俺のワイフに伝えてくれ
「愛している」
と…
アデュー。
……どうした、クレア。なんだ?
今ポチった?いったい何を…
・微弱充電は永遠に
こ、これは、新型の『デイトナ維持充電器用ハーネス』じゃないか!
ありがとうクレア。サンキューamazon。
恩に着るぞ。
最初からこれだと思っていたのさ。フフフ、まったく怖いくらい思い通りに事が運ぶ。これでこの悪夢に終止符を打てる。守りたい、みんなの笑顔。
さあ結局新しいモノに取り替えて……どうだ
グリーンランプが点いたぞ!
クリアーだ。
予定通り任務は完了だ。
束の間の安堵感と達成感が俺を包みこむ…だが、余韻に浸っているヒマはない。世界のそこかしこで泣いているバイク乗りが俺を待っている限り。
さあ、もう行くか…
そうだクレア、依頼主に伝えておいてくれ
「バイクは充電しておくものじゃない。乗るライダーを充電させるものだ」
とな。
アデュー。