ここは一体どこ?この令和の時代にこんな風景って…もしかしてタイムスリップしてしまったのかしら…
そして私たち…入れ替わって
ないない!
京都と江戸を結ぶ中山道で34番目、木曽路十一宿の江戸側から2番目の宿として、旅人で大いに栄えた宿場町。国より重要伝統的建造物群保存地区として選定され、当時の町並みが残っているというワケです。
・ゆっくり走ろう木曽街道
奥に見えるのが木曽路こと国道19号線です。とても気持ちよく走れる街道なんですよ。
でも深夜には、中央自動車道をあれやこれやの理由で利用しない大型車達が我が物顔で爆走する、マッドマックス2こと "木曽高速" に変貌してしまうそう。
事態を重く見た国土交通省が
「お前たちには失望した」
ではなく
「ゆったり木曽街道」
のスローガンを掲げた『木曽かめクラブ』を設立。
ヒューマンガス…ではなくドライバーに、どんなに煽られても頑なに制限速度をキープするペースカー『木曽かめ君』 を国道に放つなど、怒りのデスロード…もとい "クリーンドライブ運動" を展開していきます。
現在は残念ながら申し込みできませんが、その志に賛同しクラブの会員になると "会員証" とカメのイラスト描かれた "ステッカー" を貰えたそうです。このステッカー(直径15センチ!)のイラストがいい味を出していまして、本気で欲しいと思っているのですが未だに手に入らないレア物となっております。
とりあえず参考に別のカメのステッカーをご覧ください
スプリンター先生(とピザ)も写りこんでしまいました‼ たいへん失礼しました!
・名所、見どころ、盛りだくさん
木曽街道は観光スポットも見逃せません。
木曽郡南木曽町読書にあります、木曽川に架かる国重要文化財指定『桃介橋』
の『顔出しパネル』など見所満載!
宿場も全部回りたいくらいなのですが、ざんねん、今回はここまで。
・谷界のBIG2、「木曽谷」と「伊那谷」の間
を全力で通り過ごし、その先の南木曽町と飯田市の間にある「大平峠」
トンネルには木曽峠と書いてありますね。
中山道と伊那街道を結ぶ「大平街道」をさらに走ります。
道幅は狭く、道の端が苔むしていたり、落ち葉が腐葉土化していたり、落石がコロコロしていますが、ここはイイ峠ですねぇ。味わい深いといいますか、相性が良いといいますか、ハートに旗を立てるというか…
・時が止まった村
着きましたー!
街道途中にあるかつての宿場町『大平宿』です。
江戸時代中期の宝暦4年に入植者7名で開墾され、宿場町の最盛期には28戸180名が生活し、栄えたとのこと。
スゴイ山の中です。
明治には戸数70戸を超え、小学校が出来たり郵便局も開設されたのでした。
大正に入り伊那から飯田まで鉄道が整備されると、街道を利用する物流や交通が減少。昭和には生活様式の変化もあり更に人口は減り、昭和45年に住民が集団移住を選択。250年続いた宿場は廃され、誰も居なくなってしまいます。
ス、スマホの電波が届かない…
誰かー!誰も居ないのー⁉(居ない)
でも安心してください。公衆電話があるのです!
使えますよねぇ…
建築年代が江戸末期の建物も点在します。
今も有志の方々が維持に尽力されていますので、ありがたいことに拝見する事ができました。
数年前、夜間に通過した時はこの宿の存在を知らず、突然現れた廃村にビックリ仰天。失禁しそうになりましたが…ちゃんと公衆トイレ(建物木製)もありますよー。
この風景、少しでも長く残したいものです。
宿泊体験もできるとの事ですが、残念ながら遠慮しておきます。
…べ、別に恐いからじゃないですよ!
でも不思議ですよね。こんな環境で生活したことなんて一度もないのに、古い町並みや小さな小路なんかに迷い込むと懐かしいというか、郷愁というか、デジャヴを感じる時ってありますよね。あれはなんなのでしょうか。日本人のDNAか何かに刷り込まれているモノなのかなぁ。それとも前前前世から…
ないない!