「ちょっとお前さん…お前さんたらッ」
「おゥ……お……ゥゥーン…こン畜生、やけな起こし方をするなよ、おい。起こすったって、もう少し優しく、でりけーとに起こせやい。こちとらこれでも硝子の少年時代って言われてるんだァ…ん、なんだい?」
「なんだいじゃないよ。ホントに。もうお天道様もいい加減頭の上に来てるよ」
「おお、もうそんな時分か。じゃあ、あれでも食べるか」
「なんだい?あれって」
「なんだってえ事ァねえじゃねえか。コメダ珈琲『"コメ牛" 牛カルビ2倍肉だく』を買ってきていたじゃねえか。アレを出せってんだい」
「なんだい、コメ牛ってな…?」
「おい、よせよゥおい。少ゥしぐれえ食っちまったってのはまァ仕方ねえけど、そっくり無いなァひでえじゃねえか、おい…俺がコメダで買ってきた肉だくがあるだろう?」
「なにを寝ぼけているんだよゥ…お前さんコメダなんて行きゃしないじゃァないか」
「何ィ?俺がコメダに行かねえ?冗談言うなよ、おい。お、俺ァコメ…コメダへ行ったら、え?シロノワールなんかにゃ目もくれねェで、コーヒーだって飲まねェでよ、コメダ珈琲店だってのに」
「いつもそばに、ずっと」
「コメリじゃァねえやい!畜生め……それで俺がひょいッと見ると、おめえ、コメ牛ってのがあって、悩んだ末に "並" と "肉だくだく" の間の "肉だく" を選んでよ、税込み1,010円でテイクアウトしてきたんじゃァねえか」
「お、ねだん以上」
「ニトリでもねえやい!」
「お前さんはホントに、眠りながら悩んだり笑ったり、頻りにだくだく言ってると思ったら、そんな夢を見ていたんだね…なさけないねェ…この人ァ。コロナ太りをするとそんな夢を見るのかねェ」
「ゆ、夢だァ?」
「そうさァ、夢や幻じゃァないか。何を言ってンだよ、コメ牛なんて、その体のどこに肉だくが入る余地があるってンだよ。現実なのはそのタルんだ腹回りだけだよゥ」
「う…」
「お前さん、昨日言ったよね。『おッ嬶ァ、俺ァ筋トレを始めるぜ』って」
「そ、そんな事ォ言ったかァ…俺」
「お腹をシックスパックにするって」
「シックスパックって…クリスティアーノ・ロナウドかよ」
「レオナルドだよ」
「タートルズの方かよ!」
「ハァハァ…おッ嬶ァ、一体ェここはどこなんだよ?」
「なんだい、これくらいの山道でふいごみたいな息をしてさ。男のくせになさけないねェ」
「さ、お前さん、キリキリ渡るんだよ」
「お、おい、待ってくれよ。床の金網と柵をトラロープで結んでいるところもあるじゃねェか…抜けねえか?おい、大丈夫か?」
「フ~、9月だってのに、草いきれが凄いねェ…」
スタスタ
「揺らすなよ!おい、揺らすなって!」
「フゥフゥ……確かに『おッ嬶ァ、俺ァ悪かった。これから運動をするぜっ。草鞋を出してくれ』って勢い込んで頼んだけどよ、こんな場所をウォーキングさせられるたァ夢にも思わねえよ」
「空気がいい場所での有酸素運動に、何に不満があるってのさ」
「さあっ‼ ウサギ跳びで階段を昇るんだよ!」
「よい子は真似するなよ」
「橋桁で懸垂をするんだよ!」
「無茶いうなよ」
「毬栗を額に…」
「なんの修業だよ!」
「ヒィヒィ…ん?ここはタイか?アユタヤか?」
「何を言っているのさ、お前さん。ここは…」
「う~ん、マニアック」
「さあ、ありがたい石仏様に、筋トレとダイエットの成功をお願いして」
「ヘッ。なによゥ言ってやんでえ。仏様だろうが鰯の頭だろうが、信心ぐれえで体格が変わるなら世話ァねえや。だいたい楽して筋肉つけよう痩せようっていうテレビショッピング的魂胆が肥満を増長…」
「痛えッ!痛てててッ!」
「バチが当たったんだよ。鱅の頭だなんて」
「鰯だよ!なんだよ鱅ってなァ……だいたいなんて読むんだよ。え?ちちかぶり…フーンなるほどねェ…よく知ってんなァそんな魚!」
「さあ、体をしっかり動かした後は、栄養もしっかり取らなくちゃね」
「お?何か食わしてくれる所が、一体ここらにあるってのかよ?」
「『不動温泉 さぎり荘』だよ」
「不動温泉…ここでうめえモンが食べられるってのかよ。よーし、ああ、俺ァもうテコでもここを動かねえぞ‼ 俺も不動だぞ!」
「『信州新町産サフォーク』?『幻の羊』?…食い物の話だよな」
「"サフォーク" ってのは羊の品種名だよ。羊のお肉特有のクセが無くってさ、特に新町のは本当に美味しいんだよ。由来はイングランドの地名らしいんだけどさ」
「イングランド…ああ確か、お前と一緒に新婚旅行に…」
「熱海だよ、行ったのォ」
「新町は昔からめん羊が盛んな土地柄でね、町を通る国道19号線は 『ジンギスカン街道』といって、てんでに独自のタレで漬け込んだ羊肉を食べさしてくれるお店が沢山あるんだよ」
「北海道だけじゃねえんだなァ、ジンギスカンてなァ。そういやァ昔さ、松本パルコのヴィレッジヴァンガードで "ジンギスカンキャラメル" を買ってよ、なあ、立体駐車場のエレベーター内で開封してたら、一緒に乗り合わせた見ず知らずの女性に『一つください』と詰め寄られて、二つ三つあげたっけなァ。なんだったんだろうな…アレ」
「あげなかったらどうなってたんだろうねェ…」
「『道の駅 信州新町』でもタレ漬けジンギスカンが、鍋と一緒に売られているんだよ」
「ふーん、ジンギスカン鍋にもイロイロ種類が…ん?この銀色のヤツは、これァ…バケツを改造したんじゃ…」
「やだねェこの人は、新品に決まってるだろゥ」
「だよな、本当、ピカピカに光ってやがら。なァ、昔からよゥ、畳の新しいのと嬶ァ……嬶ァの古いのはいいなァ」
「変なお世辞を言わなくッてもいいよ」
「『日本で消費されている羊肉の99%以上は輸入羊肉』だってのか…フーン、だから1%もない国産の、それも新町産サフォークは幻の羊と呼ばれてるってンだな…なるほどなァ、合点がいったぜ」
「さあ、お前さん、席にお座りよ」
「でもよゥ、おッ嬶ァ…その…軍資金はあるのかよ…なあ?おい」
「いいんだよ、好きなものォ頼んでも。こんな日のために、しっかり貯めてあるんだから」
「いいのかよ?おいッ、え?幻の、本当か、おゥ?ああ、やっぱし嬶ァは古くなくちゃだめだなァ」
「おゥ、ねえちゃん待っつくれ。こっちは酒ェ頼んでねえぜ」
「ちょっとお前さん、タレだよ、その入れ物は」
「タレの入れ物?洒落てらァな、なあ。え?頼めばすりおろしニンニクも持ってきてくれるって?至れり尽くせりだな、これァ」
「頼んだ『マトンロース』『ラム』『サフォーク』が来たよ」
「肉がツヤツヤしてやがら…ほ~新鮮だね、う~ん、惚れ惚れするねェ」
「いただきま~…」
「先に野菜をお食べな」
「ん?サキベシだろ?わかってらァ。チョッ。そうヤイヤイ言うなってンだ」
「ヤイヤイ」
「わかったよ」
「ヤイヤイ」
「その…」
「ヤイヤイ」
「俺が悪かったぜ」
「モグモグ…美味いモンだなァ、これァ。肉の臭みなんて全然ねえや」
「美味しいだけじゃなくて、羊肉は豚や牛に比べたら低カロリーだし、"カルニチン" というエネルギー燃焼効果があるアミノ酸が多いから、ダイエットにもいいって話だよ」
「食っても太りにくいってェのは嬉しい限りだな、うん。そういや昔さァ、脂肪がつきにくいってェ鳴り物入りで "黒烏龍茶" が発売された時、さっそく飲んでいたら見ず知らずのオバチャンに『そんなの飲んだらガリガリになっちゃうよ!』ってたしなめられたっけなァ。なんだったんだろうな…アレ」
「期待も含めスゴイ効果があると思ったんだろうねェ…ていうか、どんだけ話しかけられ易いのさ、お前さん」
「……実はね、お前さん。コメ牛肉だくの件だけどね…あたしが隠したんだよ」
「な、なにをゥ?こン畜生、てめえあン時、夢だ幻だ…」
「でもね、肉だく…1,012kcalもあるんだよゥ。お前さんが美味しく食べている顔もみたいけど…1,012…オーバーサウザンド…ねえ、だからあんまりお前さんが爆睡しているのいいことに、ウソをついちまったんだよ…。腹が立つだろうねぇ、連れ添う女房にウソをつかれて…さ」
「……おッ嬶あ、待っつくれ。腹が立つどころじゃァねえ…」
「偉えな、え?俺の体を気にして、カル・スワン…じゃねえカルニチン豊富な幻の羊を食べられる信州新町まで、わざわざ連れて来てくれるなんて、ああ、なかなか出来るもんじゃねえや、なあ…おッ嬶ァ、俺ァおめえに礼を言う。ありがとう」
「何を言ってんだねェ、お前さん。じゃあなにかい、堪忍してくれるかい?嬉しいねえ…」
「へへ、満腹になったら眠くなってきやがった。現金なもんだぜ、体なんてなァ」
「運動もしたからね、少し横になったらどうだい?」
「そうかい?畳の上でいいや、横になるかな…枕?いらねえ、うん…あァ、いい心持ちだ…ありがてえなァ、畳の上でこう大の字になっていると、スーッと…このまま眠っちまいそ…」
「よそう、羊が幻になるといけねえ」