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ドカッとドコ行こう

略して ドカドコ!

【創業明治10年】傘のことなら『三河屋洋傘専門店』にお・ま・か・せ

傘が壊れたー!

大切に使っている傘が…

こう、骨がグニッと…

ああ、どうしよう…

な~んて事になっても心配ご無用‼

そんな時は、急ぎ長野市にある善光寺に向かってください。

いえいえ、神頼みではありません。いくら来るもの拒まずの善光寺さんといえど、壊れた傘を持ち込まれたって困っちゃう。

▲掃き清められた善光寺仲見世通り

善光寺門前に店を構える、それこそ傘の神様ともいえる洋傘職人のもとへ行くのです。お店は仲見世通りから、歩いて数分の場所。

ここここ、三河屋洋傘専門店』さんです。

長野県内で唯一職人が手作りで傘を作り続ける、伝説の洋傘店なのであります。

愛用しているこの日傘も

この日傘も

三河屋さんで購入させていただいた物なのでした。

いつもありがとうございまーす。

▲手作り洋傘店は全国でも希少

三河屋洋傘専門店さんは、創業明治10年。140年以上も続く老舗です。

洋傘職人である店主のご年齢は、なんと89歳。70年来にわたり洋傘の製造と販売を続けられており、今や長野県ではただ一人の洋傘職人。1998年に開催された長野オリンピックでは、天皇陛下へ傘を献上されているくらいの名工ですが、気軽に傘の修理にも応じてくれるのですから…ありがたやありがたや。

▲店内に約2,500本もの傘が居並ぶ

その手掛ける傘の素晴らしさに、私たちの間では

「傘は差すというけれど、三河屋の傘は心も刺す』

アメリカの傘の下より、三河屋の傘の下のが安全」

と言われており

アーノルドパーマーのロゴの傘も、三河屋が作ったのではないか」

バイオハザードのアンブレラ社の、どうやら相談役らしい」

など、まことしやかに囁かれている程の名匠。

手掛けられる傘は、もはや伝統工芸品といっても過言ではないのですが、一本3万円~数千円と誠にお手頃価格も魅力的。

▲伝統と様式、技術と工夫、そしてリーズナブル

なにより傘の修理費が、拍子抜けするほど安い!

私はその卓越した技術に報いるべく、アメックスのゴールドカード…じゃなくなけなしの万札をクシャクシャに握り締め、緊張しながら店の敷居を跨いだのですが、修理の請求書を見るとなんと千円以下!デパートの1Fとかによくある、靴やバッグのほか傘の修理もしているチェーン店よか半分、いや三分の一の値段で修理をしてくれるのですから驚きです。

店内や店舗周辺のレトロな雰囲気と空気感も含め、今が本当に令和の時代なのかしばし頭が混乱してしまいます。びっくりしたなぁ、もう!

傘を預けてから修理期間は2週間程度。もちろんバッチリ修理されて戻ってきました。

「カラー骨は修理が厄介なんだよ」と店主。

腰痛があるらしく、曲がった背をさすりながら「ミシンを前にずっと座っているからね。職業病だよ」と苦笑されていましたが、優しい表情の奥には、未だ洋傘道を究めんとする求道者の厳しさも、青白い炎のようにチリチリと感じます。

▲おまえ百まで、傘八十まで

「修理に骨は折れたが、傘の骨は折れないぜ」

と、店主が言ったかどうかは忘れましたが

「店の傘もよかったら買ってくれよ。80年は使えるから」

と、茶目っ気たっぷりにニヤリと笑われた表情も、とってもチャーミングなのでした。

 

店主いわく、傘を長持ちさせるコツは

「杖のように突かないこと」

との言いつけを守り、しっかり傘を差し上げながらの帰り道、同じく善光寺門前の『藤田九朗衛門商店』に寄り道して、名物『鯉焼き』を購入しました。

傘を長持ちさせるコツは、まだ続きます。

「日陰でよく干すこと」「強い風に注意すること」「回さない」

傘を回すってなんだよ~…って、思い返すと信号待ちとかで時々、手持ち無沙汰で回してました。スミマセ~ン。

暦はもう12月。バイクはガレージで春まで冬眠。いつもならPCの前で頬杖をつき、タメ息まじりで見ていた天気予報の週末の傘マークだって、もうちっとも気にならない。

むしろお気に入りの傘をさせるのだから、傘マークの方がイイかな。なんて。

どうぞ皆さまも、よい傘ライフをお送りくださいませ~。