「もしもしカヲルくん?今いったいどこに…」
「課長…いま…海にいます」
出勤しようと駅のホームに立ち、気がつくと会社に向かう電車ではない車両に乗っていた。
車窓からいつもと違う風景をボンヤリと眺めながら、なんとなく
「海に行きたいな…」
なんて。
着いたのは小海という駅。綺麗な名前だ。
「海?海って」
「いま、小海です…」
「小海?佐久の小海町のことかね?海どころか、えらい山の中じゃないか」
「有休を使わせていただきます…」
「有休って、キミ、もう有給使い切って…ツーリングだかなんだかで」
「傷病休暇でお願いします…深爪で…」
「ちょ、カヲルく」
ピッ。
ツーツーツー
日々の喧騒からのエスケープ。
日常からのエクソダス。
海に来てしまった。
すでに昼に近い時間。
体なんて現金なもので、どんな時だって腹は空く。
駅前に『盛柳軒』という食事処。
「ごめんください」
年配の店主と奥さんが、のんびり店を営んでいる様子だ。
店内にはコタツ席もあったが、あの席を使うには、まだまだ自分には人生経験が足りない様に思えた。
温かいお茶で、身も心も暖める。
ここでは普段の生活より、時間がゆっくり流れているように感じる。
ラーメンは一種類のみ。
でも、選択肢の多いことが、場合によっては親切じゃないと感じる事だってあるわけで。例えば初見の、メニューやトッピングがやたら豊富な券売機の店とか。後ろに他の客がズラー並んでいる時とか、特に。
今はこのシンプルさが心地いい。
「ラーメンください」
昔ながらのラーメン、っていうやつ。
でもみんな、それぞれの昔って持っているわけで。
自分の昔って、そういえばどんなだったっけ…
たまには立ち止まって、振り返ってみるのもいいかもしれない。
昔の自分は、今の自分をなんて言うだろう、なんて。
もう昔には戻れないし、でもずっと今のままではいられないし
それなら、新しいものを作るべきだと思うから。
しっかり食べて栄養つけよう。
麺あってのスープ。スープあっての麺。それがラーメン。
なので、スープだけになったら残してしまうから。
なんて少しエラそうかな。
塩分摂取は控えめに。
「ごちそうさま」
表に出ると、目の前は小海。
やっぱり海はいい。
"疲れてると人は海に行きたくなる" なんていうけれど、たぶんその通りだと思う。
リフレッシュには、おすすめしたい。
午後になり課長に連絡をすると、お土産に純米酒『きたやつカップ』を買ってこいと言われた。
だが、どこに行けば買えるのか、よく分からない。
面倒くさいので、コンビニで『ふなぐち菊水』を買って帰ることになるだろう。きっと。
また出勤前に海に行きたくなったら、今度は小海ではない海もいいな。
その時もやっぱり、着いてから課長に
「海にいます」
と電話をするだろう。
「今度はバイクで」
なんて。