えぇ、昔から人を化かすのは狐か狸、獺や猫なんぞと相場は決まっていますが
山に住んでいます知り合いの奥さんが自宅前の菜園をふと見ると、ご主人が屈んでしきりに何かをしています。
「ちょっとアンタ何してるのさ!普段は醤油ビンひとつ動かさないくせに、どうせロクでもない…この千円亭主!」
するてえと、いつもは慌てて直立不動に最敬礼のおまけ付きで応対するご主人が、振り向きもせず返事もしない。プチ自殺行為ですな。
「ちょっと聞いてるのアンタ!小銭が落ちた音なら100m先でも振り向くクセに、ほんとしょうもない…このナスのヘタ!」
てんで、近づいてみると
「キィ…」
お猿さんだったそうで。近頃は猿だって人を化かすようになったなんて…
もっともご主人を猿と間違える奥さんに問題があって猿に罪はない、猿罪ならぬ冤罪だなんて思うんですが…
おや?こんな山ン中に子犬がいらぁ…かわいそうに親とでもはぐれて…あン?こいつは…狸だな。どうも俺ぁ、様子がおかしいと思ったんだ。犬にしちゃあなぁ、口がとんがらかってやがって…ああ、狸かい。子狸だな。
腹でも減ってるのか…なんだか弱ってら。常時携行しているヤガイの『おやつカルパス』でもあげてみるか。食べるかな…
おうおう、夢中でがっついてやがら。うめェもんなぁ、ヤガイの『おやつカルパス』は。こちとらいっつも箱買いよ。なぁ。たんと食えよ。
さぁさぁ、元気になったら行った行った。俺は松本、狸は木祖にってね。ハッハッハッ、丸くなって跳んでッちめェやがった。あぁ、こっちをふり返ってやがら、ふふ、嬉しいとみえて…
ああ、でもいいことをしたよ。なぁ。いい後生だ。生き物を助けてすッとしたなぁ。
すッとしたのァいいけど…
腹もすッとしてるなぁ。
ここは松本市奈川か。奈川は「とうじそば」発祥の地として有名どころだ。なぁ。ひとつ寄って、ご馳走になろうじゃねェか。
旅館・お食事『ちゅうじ』よし、ここに決めるとするか。
岩魚料理も自慢なのかい。よっぽど自然豊かな土地柄なんだなぁ。
でもよ、あいにく今日はこの雪だ。温けえ食べ物にありついて、カーッと体を温めてえじゃねェか。
家は総体檜造り、天井は薩摩の鶉木理、なぁ、左右の壁は砂摺りでござい…
なんてワケにはいかねェが、なかなか味があっていい店構えだ。あぁ。気に入ったぜ。
おぉゥッ!
驚いたねぇ…こいつァ自動ドアだ。
まさか店の中もおーとめーしょん化されているんじゃ…
違ったねぇ。
おぅ、女将さん、名物のとうじそばをひとつこしらいてくんねえ…今日は寒いねぇ。
カセットコンロでグラグラ煮ながら、常時熱々の蕎麦を手繰ろうッて趣向だね。こいつあいいや。気が利いてるねぇ。
来た来た。どうだい、蕎麦がピカピカ光ってやがらぁ。
奈川は標高1,200mの、そりゃァ空気がいーい高地だ。ここで育った風味豊かな蕎麦を、このとうじかごに入れて…
熱々のお汁でさっと湯がいて…
ふうふう…ツルツル…ハフハフ…これぁ美味いねぇ!
うん、いい蕎麦だね、腰が強くッて、ぽきぽきしてやがら。このお汁も…ふうふう…つゥゥ…うまいっ!温まるねぇ。
…残ったお汁にご飯を入れておじやといきてえんだが、先におやつカルパスを食っちゃった。すまねぇ、一杯でまけといてくれ。ごちそうさん。
「女将、いま何刻だい?」
なんてことはやりませんで勘定をして、くわえ楊枝で上機嫌に店を後にしました。
翌日、長野の権堂町にある『パティスリー・オー・スガ』の前を通りますと
「…こんちわ。こんちわ」
「おォ?だれだい?」
「ぬゥ…すゥ」
「なにィ、わかんねェこと言ってやがんな。なんだいっ?」
「…ん、きでございます」
「なんだ、こいつァハッキリしねえな。おう、なんだか狸がモソモソ言っているようでわからねえじゃねえかっ」
「その狸なんです」
「狸が来やがった…俺ぁ狸なんぞに知り合いはいねェぜ。おう狸、おめえなぜ来たんだい?」
「なんでござんす、あのぅ、木祖と松本のあいさの峠で、へえ、弱っているところを親方ァ通りまして、カルパスで力をつけて貰いました、あの時の子狸でござんす」
「ああ、昨日の狸かい?」
「恩を受けましたんで、恩返しに来たんですよ」
「そうかい。恩なんざァいいよ、返さなくたって」
「それァいけないんです。狸仲間ァうるさいんですよ。"あいつは恩を受けて返さない、まるで人間のようだ" なんて…」
「なにォ言ってやがる…変なこと言うねえ」
「恩返しかぁ…ふーん、じゃぁ、まァひとつなぁ、おめえに化けて貰えてえものがあるんだよ」
「なんです?」
「うン、なぁ、バイクのタイミングベルトカバーってえものに、化けられるかい?」
「タイミングベルト…あのドゥカティのLツインエンジンのカムシャフトを駆動させている、金属製チェーンではなくゴム製コグベルトのことですね」
「なんだかよく知ってやがンなぁ…」
「そのカバーになれってんですね。ええ、化けられますよ」
「カーボンでひとつ頼みてェんだ」
「よござんす」
よし、外装類を外していくぜ。
…ううゥ、3月は季春なんていうが、ガレージでの作業はまだまだ冷えるなぁ…ん?なんだい狸、これにくるまって暖を取れって?ありがてェなフカフカで生暖かくて、でもなんだいこれぁ…
『親父は八畳あるが、自分はまだ子供だから四畳半しかない』
金〇袋じゃねえかっ!冗談じゃねェや、いいよ、掛けなくて…
じゃァうまく化けてくれよ。
ええ?化けました?本当かぁ
こいつァいいや!
なるほど、これァうめえもんだなぁ。ありがてぇ。
じゃァさっそく、取り付けてみようじゃ…ん?
なん…おかしいな…カバーじゃ覆えねえ部分があるじゃねェか。こいつァどうしたってン…
おッ⁉よく見れば1100EVOのカバーとは微妙に形が違う。こいつァ696/796のカバーだぜ!これァ大しくじりだ。
おい、狸よ、間違いだ!おめえが化けてるのは、似てるけど違うカバーなんだよ。おいっ、返事をしねえか。 やいっ、タヌ公!この野郎、さては…
狸寝入りだな。